ふるさと松代人物館

わたしたちのふるさと松代からは、日本近代の発展に尽くした数多くの人物が育っています。2010松代イヤー実行委員会では、NPO法人夢空間の協力を得て、松代の風土を愛し、新たな世界を切り拓いていった先人たちをイラスト画によって紹介。その足跡を尋ね、学びながら、新たな明日を創造していくための企画を実施。今年度はあらたに5人の先人たちを顕彰する案内看板を作成し、それぞれのゆかりの郷地に立てさせていたださました。今後さらに多くの先人たちを発掘顕彰し、まちづくり、人づくりのために役立たせていきたいと考えています。

2010松代イヤー実行委員会

飯島忠雄(いいじまただお)明治8年(1875)~昭和29年(1954)

  • 昭和天皇にご進講した 皇国史観の漢文学者

    独学で勉強、26歳で上京し学び学習院教授となる。皇国史観の漢文学者で、文部省「国体の本義」編集委員などを歴任。東宮で皇太子にご進講した。著書に『長谷川昭道の皇道途義』「日本上古史論」「支那古代史論」などがある。

池田三七定見(いけたさんしちさだみ)寛政7年(1795)~明治3年(1870)

  • 高度な算術を普及させた 松代藩和算家

    藩の賄方を勤めつつ、宮城流の算学と測量術を中村盛憙と中島政昇に、最上流の算学を町田正記に学び、天保9年(1838)、最上流算法皆伝之巻を授与された。算学私塾を開き、日用算術や測量法の他、当時最高レベルの純粋数学も教え、門人は280余人を数えた。西楽寺に松代高校生徒が奉納した「算額」がある。

井上 操(いのうえみさお)弘化4年(1847)~明治38年(1905)

  • 大阪事件の裁判官 関西大学の開校者

    司法省法律学校で学び、帝国大学教授、大阪控訴院評定官となる。「大阪事件(民権運動家らによる反政府武装闘争計画)」の名判決で知られる。また、同僚判事らと協力して関西法律学校(現関西大学)を開校。法律家育成に務めた。

岩下清周(いわしたせいしゅう)安政4年(1857)~昭和3年(1928)

  • 関西財界を牽引した銀行家 ベンチャー企業の育成支援

    関西財界の重鎮として、30余の会社社長や重役に就任。発明家豊田佐吉を支援し、豊田式自動織機を完成させるなどベンチャー企業育成にもつとめた。生駒山トンネル貫通の難工事も成功。衆議院議員となるが、疑獄事件に連座し、老年を富士山麓の農園で過ごす

大里忠一郎(おおさとちゅういちろう)天保6年(1835)~明治31年(1898)

  • 我が国初の民間蒸気器械 製糸工場「六工社」創設

    明治維新後、士族の授産事業として製糸業に注目。官営富岡工場で学んだ横田(和田)英なども参画した日本初の民間蒸気器械製糸工場「六工社」を設立。銀行設立など金融・海外貿易の道を拓き、松代への鉄道敷設にも尽力した。

大日方一輔(おびなたいちすけ)安政6年(1852)~大正3年(1914)

  • 国後・漢陽・南京等に赴任 鉱山事業振興に尽した鉱士

    各地の鉱山開発に関わり、鉱業商議所を興し、鉱山開発経営のノウハウを伝授。精製、精練法などに多くの特許を持ち、鉱山事業振興に尽した。明治39年、東京に工場をつくり、鋼・可鍛鉄を製造、国産の車軸・車輛の製作に供した。

恩田重信(おんだしげのぶ)文久元年(1861)~昭和22年(1947)

  • 明治薬科大学創始者 医薬分業の基礎を築く

    薬学の普及、社会に貢献する薬剤師の養成、医薬分業や国民の保健衛生の確立などを目指し、明治35年(1902)、神田一ッ橋に東京薬学専門学校(現明治薬科大学)を設立。『独和他国字書大全』『独和新医学大辞典』など25種の著書がある。

恩田緑蔭(おんだりょくいん)文政2年(1819)~明治7年(1874)

  • 「松代十二箇月絵図」を描いた 江戸末期の女性画家

    その生涯を画筆とともに過ごした信州女性画家の先駆。感性豊かな女性の繊細な画風が持ち味で代表作に「松代十二箇月絵巻」(真田宝物館蔵)などがある。殿町の「日暮し庵」に展示コーナーが設けられ、作品を見ることが出来る。

海沼房太郎(かいぬまふさたろう)安政元年(1854)~明治22年(1889)

  • 「六工社」発展の土台となる 日本型製糸機を創作

    松代の農家に生まれ、武家屋敷に勤める。富岡製糸場に入り、製糸技術を研究。日本初のフランス式民営製糸場「六工社」設立に参加。製糸用蒸気器械の設計開発に挑み、苦心の末、銅製の汽罐や日本型簡易蒸気器械等を造り、松代の製糸業を飛躍的に発展させた。

海沼 實(かいぬまみのる)明治42年(1909)~昭和46年(1971)

  • 「お猿のかごや」の童謡作曲家 「音羽ゆりかご会」を創設

    同郷の作曲家・草川信に師事。昭和8年(1933年)、児童合唱団「音羽ゆりかご会」を創設。川田正子・孝子・美智子ら数多くの童謡歌手を育てる。「お狼のかごや」の作曲家。戦後も「みかんの花咲く丘」「里の秋」などの愛唱曲を作曲。

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