信州松代観光協会ホームページ 信州松代観光協会ホームページ


 

史跡・博物館

林正寺

 この建物は、もと松代町の長国寺にあって、長国寺開山堂になった幸道の霊屋の北に並んで建ててあったのを、昭和27年この地に移築したものである。
 元来、真田家2代藩主信政の霊屋として建てたもので、信政は万治元半(1658)父信之に先立って死去し、続いて同年信之も死去した。霊屋はその後2年を経た万治三年、信之の霊屋と同時に建てられたもので、桁行三間、梁間四間、入母屋造り、杮(こけら)葺きの信之霊屋と全く同じである。異なるところは、杮葺きが後に瓦葺きに変更されている点と、背面左右が元壁であったと考えられる外、千鳥破風、向拝の彫刻を獅子、内部欄間を天人とするなどである。

長野県宝 林正寺本堂及び表門
昭和41年10月3日指定

平成20年12月20日
長野県教育委員会
長野市教育委員会
林正寺

 Rinsyoji Temple Main Hall and Temple Gate
Historic Architecture
Designated by Nagano Prefecture on October 3,1966



蓮乗寺

蓮乗寺は日蓮宗の名刹で日蓮が佐渡へ流された時、立寄られー泊せられたと伝えられる。又、佐久間家累代の菩提寺であり大正11年、京都妙心寺よりこの菩提寺へ分葬する。
猶父一学並に一子恪二郎等の墓もある。



六工社跡

六工社(ろっこうしゃ)案内

明治維新以来、松代地域の疲弊した経済の救済と繁栄を図ろうと、大里忠一郎等は同志数名と共に謀り(原文ママ)この地方に適した産業として当時輸出産業第一位の製糸業に着眼し、製糸揚の設置を計画した。そして国内唯一の官営富岡製糸場(群馬県)にならい、明治六年(一八七三年)二月民間蒸気製糸場の建設を始めた。
 横田数馬の助力を得、同志九名が資本金二千円を拠出、約千円を他より借入、銅製蒸気釜の考案など苦心しつつ繰糸場、釜場、水車、工女部屋、薪置場、用水池、帳場炊所、浴室等を備えた「六工社」をこの地(西条六工[ろっく])に創設した。社長に春山喜平次、副社長に大里忠一郎が就任し、工女五十人繰りの規模であった。
 明治六年三月、富岡製糸場へ伝習のため派遣された横田英他十五名が帰るのを待って、明治七年八月二五日に「大日本帝国民間蒸気器械の元祖六工社」(和田英・旧姓横田「富岡日記」)が創業を開始した。
 六工社は、わが国民間フランス式改良日本型蒸気製糸場の創始であり、「六工社生糸(きいと)」の名は国際的にも知れわたった。

松代史跡文化財開発委員会



余年二十以後即ち匹夫も一国に繋りあるを知り… 象山神社内

この碑の読み方

 余年(われとし)二十以後即ち匹夫(ひっぷ)も一国に繋(かかわ)りあるを知り三十以後即ち天下に繋りあるを知り四十以後は即ち五世界に繋りあるを知る



1 当時一国は、松代藩、天下は日本国、五世界は、全世界をいう。
2 碑陰の文は裏面にあります。

象山神社
日本電信電話公社


碑陰(碑の裏の文)
この碑文は象山先生が安政元年(1854年)門人吉田松陰は海外渡航をすすめたことに連座して獄中憂国の至情に発して記された「省諐録(せいけんろく)」中の句である。
先生はこのような大精神によって開国進取科学文化の発達等に尽くしてやむなくついてその貴き命を捧げられたのである。
しかしながら明治維新の黎をもたらし先覚者象山先生の大精神と偉業は永遠に光り輝くものがある。
ことし百年祭の行われるにあたりここに先生の真蹟を刻し啓示として仰ぐものである。

1964年11月11日
日本電信電話公社









サイト内の検索
松代文化財ボランティアの会
旧白井家表門での湯茶の接待、町内ガイド、真田宝物館ほか
文化施設での展示説明等を行っています。ガイド予約も受け付けます。
お問合わせ/
TEL・FAX 026-278-9010(受付10:00~15:00)
ホームページ

日本100名城スタンプ
日本100名城スタンプの設置場所は真田邸の受付です。

休館日のお知らせ
■真田宝物館の休館日は火曜日(祝日の場合は開館・8月13日と10月22日は開館)
休館日: 10月29日(火)
■松代まち歩きセンターの定休日は毎週水曜日です。
ご不便をお掛けすることもあろうかとは存じますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
マップ等ご入り用の方は松代観光案内所へお願いします。

<松代観光案内所>
長野市松代町松代殿町4-1
電話026-290-6400


松代まち歩きセンター
NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会
休館日: 10月30日(水)
■象山地下壕のお休みは、毎月第3火曜日です。
休館日: 11月19日(火)