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明徳寺にある陸軍中将 栗林忠道之墓

松代出身の軍人 栗林忠道

1891(明治24)年、栗林忠道は旧松代藩郷士の家に生まれ陸軍士官学校、米国、カナダ等での留学・勤務などを経て、1943(昭和18)年東京師団長に任ぜられました。(中将)
軍の中枢が対米開戦に動き出していた頃、栗林は巨大な軍事力をもつ米国との不戦を軍内部で進言し続けましたが聞き入れてもらえませんでした。
1944(昭和19)年6月、国土防衛のため小笠原方面最高指揮官に任ぜられ硫黄島に赴任。以後、1945(昭和20)年3月に戦死するまで硫黄島から一度も出ませんでした。

硫黄島の戦い

1944(昭和19)年7月、栗林は硫黄島赴任後も対米講和を上申したが握り潰される中で、自ら食事の階級差をなくすなど陣頭に立って戦闘を指揮していました。1945(昭和20)年2月硫黄島への米海兵隊7万7000人が上陸。栗林中将を先頭に守備隊は頑強に抗戦したが摺鉢山(すりばちやま)の攻防戦は壮絶を極め、3月栗林は大本営に訣別の電報と「国の為 重き努め果たし得で 矢弾(やたま)つき果てるぞ悲しき」と辞世の歌を送ったそうです。
戦死と認定された栗林は特旨により陸軍大将に新任されました。

基本情報

陸軍中将 栗林忠道之墓

住所 〒381-1222 長野県長野市松代町2833